私のハーレーにハンドルには、一応は、スマホマウントのベースだけがついている。
いざというときには、工具なしで、すぐにつけられるようにだけはしてある。
しかし、いまのところ、ほとんどを、スマホをマウントせずにハーレーに乗っている。
なんというか、
ハーレーに乗っている時間が、唯一、スマホの存在を忘れていられる気がするのだ。
今回は、スマホ(ネット)に関する取り留めのない話。
スマホ中毒
現代人の多くは、歩いているときも、自転車に乗っているときも、車を運転していているときも、スマホをイジっている。
ほとんどの追突事故の原因は、スマホなのではないだろうか。
最近では、高齢者までもが、スマホ片手に歩いていたり、あろうことか、車の運転をしている姿をみかける。(危ないから、頼むからやめてくれ!)
電車やバスでの移動中や、移動していないときに至っては、言うまでもない。
今や、ほとんどの人間が、明らかにスマホ中毒のなだ。
そして、私たちは、ネットを便利に、スマートに使いこなしていると思い込んでいるが、じつは、ネットの中に囚われてしまっているのではないだろうか。
映画「サマー・ウォーズ」の、「OZ(オズ)」の中の世界と「OZアカウント」が、今の世の中を的確に捉えている気がする。
実際に、みんな、TwitterやFacebook、Youtubeなどのアカウントを持って、その中で懸命に生きている。
多くの人にとって、「生きる」ということが、バーチャル空間に移行してしまっていて、目の前の現実を生きてはいないように思える。
そして、今や「個人=アカウント」なのだ。
スマホ(ネット)は便利なので、私も、意味もなくイジってしまうが、ここ数年、本心では、それを心良く思っていないところがある。
私も、まんまとネット空間に囚われかけていたわけだ。
とくにSNSを真剣にやろうとすると、どうしても、スマホ中毒にならざるおえない。
しかし、それをやっている本人には、その自覚がない。
死ぬまでの暇つぶし
スマホが普及しだいた頃は、スマホを使いこなしている(イジっている)人は、なんというか「先を行っている」ようなイメージがあったが、最近では、常にスマホをイジっている人は、なんというか「痛い」ように感じる。(あくまで私見)
まるで、大人が自分たちの時間を作るために与えたスマホで、いつまでもゲームに熱中している子供と一緒だ。
そして、一部のインフルエンサーを名乗る人たちを除けば、ネットに費やす時間は非生産的で、もっといえば、ムダな時間だ。
「もっと、他にやることはないのだろうか?」
と思うのだが、実際には、やることなんてないのだ。
あれば、スマホなんてイジっている暇はない。
多くの人にとっては、所詮、人生なんて、死ぬまでの暇つぶしなのだ。
おわりに
違法だが、車を運転しながら(アクセルを踏みながら)、スマホをイジることはできるし、けっこうみんなやっていて危ない。
しかし、ハーレーに乗りながらできることと言えば、地図アプリをみることくらいだろう。
普通の人は、スロットルを開けながら、SNSをチェックしたりはしない。
しかし、スマホの地図アプリがあれば、方向音痴な人でも、道に迷わずにすむので、ありがたい存在だ。
とくに、帰り道は、翌日が仕事だったりすると、迷わず帰路につきたいものだ。
ということで、スマホはハーレー乗りにとっても、有り難い存在だが、ハーレーに乗っている時間は、スマホやネットの存在を忘れて、全身に風を感じて、「いまここ」に在れる貴重な時間だ。
誰かが、「走る瞑想」と言っていた意味が、ハーレーに乗ってみると、よく分かる。
そして、アクセルを開けている時間は、死と隣り合わせだからこそ、生きているということを、強く実感することができる。
しかし、最近では、バンス&ハインズの「フューエルパックPF3」などでも、スマホを使うようになってきた。
そのようにして、今後もスマホは、あらゆるところに入り込んでいくのだろう。
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