緊急事態宣言や外出自粛要請が解除され、少しずつ人々が外に出始めた。
6月からは、さらに自粛が緩和されることだろう。
もう、もとには戻らないことも多いが、人間の活動自体は、少しずつ戻っていきそうだ。
いまにして思えば、2020年の5月は、道路が空いていて、何をするにもいい時期で、なかなか貴重な体験ができたように思う。
人は人、自分は自分
自粛警察やマスク警察などの人たちからすると、腹立たしいことなのだろうが、私はこう思う。
「自粛したい人は、自粛すればいいし、自粛したくない人は、自粛しなければいい」
そして、
「マスクをしたい人は、マスクをすればいいし、マスクをしたくない人は、マスクをしなければいい」
「マスクをしたい人」と「マスクはしたくない人」、「自粛したい人」と「自粛したくない人」、それぞれ、双方に考えがあることはべつに構わないと思う。
「人は人、自分は自分」
でいいではないか。
べつに、争う必要はないではないか。
自粛しろ!という落書き
昨今の日本では、とても、おかしなことが起こっている。
たとえば、バイクのナンバーに「自粛しろ!」と落書されたという、悲しい投稿がSNSに投稿された。
自宅バイクに「自粛しろ」落書き 県内ナンバーなのに…「自粛警察」に呆然#COVID19 #バイク #新型コロナウイルス #自粛警察 https://t.co/VnziavQEwb
— J-CASTニュース (@jcast_news) May 18, 2020
よく考えてみると、
「落書きした人も、立派に外出しているではないか!」
ということに気がつく。
家の中で自粛していれば、バイクのナンバーに落書きできないし、そもそも、バイクを目にすることはないはずだ。
だから、自粛したい人は自粛し、自粛したくない人は自粛しなければ、どちらも、嫌な思いをしなくてすむと思うのだが…
わざわざ、自分も外出していって、外出している他人を取り締まるという、わけの分からない人が多すぎる。
争うのが得意な生物
「私は、怖いので6月いっぱい自粛します!まだ、外出なんてとんでもない!」
と鼻息を荒くして言うのではなく(そこには、自粛していない人に対する痛烈な批判が込められている)、ただ単に、気がすむまで自粛すればいいと思う。
この世界には、新型コロナウイルスだけではなく、様々なウイルスや病原菌、細菌、野生動物、有毒物質などが存在する。
ゼロリクスは存在しないし、
「どちらが正しく、どちらが間違っている」
や
「どちらが良いもので、どちらが悪いもの」
というものではない。
戦争を繰り返してきた人類は、「正しい・正しくない」、「良い・悪い」を判断して争うのが得意な生物なのだろう。
コロナに負けるな!
怯えると、人は攻撃的になるのだろう。
だから、
「コロナに負けるな!」
や
「ウイルスに打ち勝とう!」
となる。
しかし、ウイルスの側からすると、
「人間に負けるな!」
ということになる。
だが、当のウイルスは、そんなこと考えていない。
戦うことを考えているのは、人間だけだろう。
宇宙人だって、今だに地球に攻めてこない(笑)
共存と適者生存
ウイルスに対する勝利などない。
ウイルスが怖い人は、無菌室にでも立て籠もるしかない。
地球の内外を問わず、すべての生物は、共存していくしかないのだ。
そのうえで、適者生存に従い、生き残るものは生き残り、滅びるものは滅びるしかない。
一部の人間だけが、それをコントロールしたがる。
いまから100年以内には、殆どの人間が死に、200年以内には、全員が死んでいるというのに。
「自粛したい人は、自粛すればいいし、自粛したくない人は、自粛しなければいい」
そして、
「マスクをしたい人は、マスクをすればいいし、マスクをしたくない人は、マスクをしなければいい」
私は、あることを疑問に思う。
それは、
必要以上にウイルスなどに怯えている人は、どうしても生き残って、やり遂げなければならない、なにか重要なことがあるのだろうか?
ということだ。
おまけ
写真は、多くの人が外出自粛をしているさなか、都県をまたぐツーリング中に、突然の雨に振られたりしながらも、最後に偶然たどり着いた風景。(牛は「三密」も「マスク」も関係なく、ただ、今を生きている。)
晴れて暑かったり、雨に濡れて寒かったり、通行止めだったり、雨宿りしたり、また走り出したり、道に迷ったり、お腹が減ったり、温かい食べ物で生き返ったり、素晴らしい風景に出会ったり…
振り返れば、どれもこれもいい思い出だ。
まるで、人生そのもののようだ。
コメント